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縄文語の心(続き)

日本列島に住む人々は、縄文時代あるいはそれ以前から何かしら共通の言語を話し続け、現代に及んでいる。これは世界史の中でも稀なことだが、現代の日本人がどこかに縄文的な心性や思考法を受け継いできたのは、太古からの言語の継続性によるところも大きいのであろう。

縄文時代は、中期にすでにひとつの言語的なまとまりが成立していたと言われる。その後、今から二千数百年前に、本格的な稲作技術をもった渡来人が大陸から日本列島に渡ってきた。その渡来人の人口は、縄文人のおよそ2倍から3倍と言われる。しかし、大陸と海峡で隔てられていたためもあり、一度に大量に渡来したのではなく、およそ千年の間に徐々に渡ってきたものと思われる。渡来人が縄文人の文化を圧殺したり駆逐したというよりは、むしろ縄文文化に溶け込み、同化する面が多分にあったようだ。小集団ごとに渡来した人々は、長い年月の間に言語的にも縄文人と同化していったであろう。だからこそ、縄文語が基盤となって日本語が形成されていった。(《関連記事》日本文化のユニークさ03

日本語の歴史的な継続性について少し具体的に見てみよう。まず梅原猛の『日本人の「あの世」観 (中公文庫)』より。アイヌは、近年まで縄文人と同じように狩猟採集をこととしており、東北地方に住み縄文文化の跡を濃厚にとどめていた蝦夷とも深いつながりがあると思われる。それゆえアイヌの言葉を調べることが縄文語の研究のヒントとなるのではないかと梅原はいう。実際に生命や霊を表すアイヌの言葉の六つが、日本語との何らかの関係を示すという。以下アイヌ語‐日本語の順で対応関係を示そう。カムイ‐カミ、ピト‐ヒト、イノッ‐イノチ、タマ‐タマである。アイヌ語のラマトやクㇽも日本語とのある対応関係があるが、説明がやや複雑になるので省略する。

このようなアイヌ民族の魂ともいうべき、生命や霊に関することばが日本語から取り入れられたとは考えにくく、むしろアイヌと現代日本人の共通の祖先である縄文人の言葉が、少しずつ変化しながらそれぞれに受け継がれてきたと考えるべきだと梅原は主張する。

時代は下るが、もう一つ具体例を示そう。金谷武洋は『日本語は亡びない (ちくま新書)』で次のような研究を紹介している。753年から1331年にかけて書かれた日本の14の古典文学作品には「延べ総数」で40万語が使われていた。そのうち使用頻度の多い上位10語(つまり基本語彙)は順に以下のものであった。

 ある、こと、ひと、する、いと、ない、こころ、おもう、みる、もの

このトップテンのうち、唯一「いと」を除いて、他はすべて現代日本語でも基本語彙の上位を占めており、しかもそれらが漢字流入以前の和語であることは、日本語の継続性の一面を示すといえよう。

金谷はまた、日本語を観察すると日本人がいかに「対話の場」を大切にする民俗であるかに驚くという。話し手である自分がいて、自分の前に聞き手がいるという「対話の場」。その場に、「我」と「汝」が一体となって溶け込んでいる。この点に日本文化の基本があるのではないか。日本語の「我」は、けっして「対話の場」から我が身を引き離して上空から「我」と「汝」の両者を見下すような視点を持たない。「我」の視点は常に「いま・ここ」、つまり対話の成り立つ関係性の場にあるというのだ。

これに対して、西洋の考え方は自己を世界から切り取るところに特徴があるようだ。西洋の「我」は、「汝」と切れて向き合うが、日本の「我」な「汝」と繋がり、同じ方向を向いて視線を溶け合わすといえよう。それは、古来からの日本語そのものがそのような発想法をもっているからではないのか。

小笠原泰の『なんとなく、日本人―世界に通用する強さの秘密 (PHP新書)』では、上の事情をもう少し日本語の構造に即して分析している。

欧米人は、個人を自律的なものとみなし、主体的な自我が絶対視される。太陽のように自分を中心にすえる自我モデルでは、IとYouは、相互に排他的で独立的である。社会の役割意識はあるものの、それに完全に同一化することはなく、つねに絶対的自我が優越する。これに対して日本人の自己構造は、相手との関係で変化する相対的なものであり、欧米人のような自分を中心に据えた絶対的なものではない。

これを言語の構造に即して説明すると、欧米言語は名詞中心に独立的、客観的な対象(モノ)として世界を認識する。主観を排除して時間的な推移のよう変化の観念をできるだけ含めない傾向がある。逆に主観は、名詞的に客観的に把握される世界から超然と独立している。

これに対し日本語は、述語(動詞)中心にしており、対象を主観と分離せずに経験する。自我よりも複数の人々の関係によって生じる「場」が優先され、自我よりも「場」が根源的な自発性をもつ。日本語の一人称の多様性(私、俺、僕、お父さん‥‥)や述語の複雑性(敬語等による変化)が示すように、他者との相対的な関係が重要なのであり、それに対応して日本人の自己構造も相対的である。「場」の変化の中で、自我のあり方も出来事(コト)のとらえ方も絶えず変化する。主観は世界を、時間の経過のなかで変化する出来事(コト)として経験し、主観的に身体的に世界に反応する。上で紹介した古典文学の中で使用頻度の高い語彙の2位に「こと」が来るのも偶然ではないだろう。(《関連記事》『なんとなく、日本人』

上のような欧米人と日本人の世界認識に違いは、最近、文化心理学で実験的に明らかにされつつあるようなので、そのうち紹介したい。(『ボスだけを見る欧米人 みんなの顔まで見る日本人 (講談社プラスアルファ新書)』)(今回は、かなりかたい話になってしまったが、この本は具体的な面白い事例が載っていて興味深いですよ。)

《関連記事》
『日本にノーベル賞が来る理由』
今回の話に直接は、関係ないのだが、日本人が英語に弱いこととノーベル賞がとれることとの間には関係があるという話。日本語中心でノーベル賞級の研究ができるという事実、だから日本人が英語に弱いという事実に誇りをもつべきなのだ。

《関連書籍》
大野晋他『日本・日本語・日本人 (新潮選書)

 

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| 現代に生きる縄文 | 00:38 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
縄文語の心
最近、日本人の自信や誇りを取り戻させるような内容の本の出版が相次いでいるような気がする。私がそういう内容の本に関心があるから気が付きやすいのかもしれないが、しかしこのような関心はもう数年も続いている。同じ関心で見ていても、この1・2ヵ月とくに多くなっているようだ。たとえば、

井沢元彦『人類を幸せにする国・日本(祥伝社新書218)』2010年10月30日
川口盛之助『世界が絶賛する「メイド・バイ・ジャパン」 (ソフトバンク新書)』2010年12月25日
増田悦佐『奇跡の日本史―「花づな列島」の恵みを言祝ぐ』2010年12月27日
竹田恒泰『日本はなぜ世界でいちばん人気があるのか (PHP新書)』2011年1月5日
 
さらに週刊朝日の新年合併号(1月7・14日号)が、「2011年は勝負の年! 勝てる国ニッッポン!」という特集を行っている。こういう出版の傾向は、元気のない日本にあって、悲観論が好きな日本人も、さすがに少しでも自信を取り戻したいという気持ちが働くようになったからなのか、あるいはこれまで意識的にも無意識的にも目をそらせてきた日本の長所に、しっかりと目を向けようという流れがようやく本格化しはじめたからなのか。後者であればよいと思うのだが。

上の本は、どれも近々取り上げることになると思うが、今日は最後の竹田氏の本を取り上げたい。(発行日は5日になっているが、実際には暮れから書店に並んでいた。)

日本文化のユニークさということで挙げた4項目のうち一番目は、

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

であった。縄文文化が日本人の心の基層に生き続けてきた理由については、これまでにもこれまでにも何回か触れてきた。

日本文化のユニークさ03:縄文文化の名残り
日本文化のユニークさ12:ケルト文化と縄文文化
日本文化のユニークさ17:現代人の中の縄文残滓
『「かわいい」論』、かわいいと平和の関係(3)

竹田氏は、上に紹介した本の中で「日本語は、原始日本人の価値観を詰め込んだタイムカプセルのようなもの」ではないかと指摘する。

日本列島に独自の特色が現れたのは、後期旧石器の地域性がみえはじめた3万年前ころだという。この頃から縄文時代早期にかけて、石器と土器に関しては人類最先端の技術をもつ地域になっていた。その日本列島で話されていた縄文語を元に、時代ごとに他地域から他の言語が流入し、現代日本語が形成された。朝鮮半島からの影響、漢語からの影響、そして江戸時代末期以降は欧米語の影響を受けつつ、日本列島の言語が形成されていったのだ。

大切なことは、日本列島が海に囲まれているため、大陸と違って、戦争により民族が言語とともに滅ぼされる経験がなかったことである。だからこそ日本語は、縄文時代、いやおそらくそれ以前からの古い要素を色濃く残している。これはもちろん、「日本文化のユニークさ(3):異民族による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験を持たなかった」という項目に対応する。そう考えると、これまで確認してきた「日本文化のユニークさ」四項目のすべてが、縄文語の継承という事実と多かれ少なかれ関係しているといえそうだ。

(1)狩猟・採集を基本とした縄文文化が、抹殺されずに日本人の心の基層として無自覚のうちにも生き続けている。

縄文時代以来の心性が、現代日本人の心に受け継がれているのは、その言葉が受け継がれたからである。太古の言葉が受け継がれるからこそ、太古の価値観が受け継がれるのである。言葉の継承なくして、古い価値観の継承もない

(2)ユーラシアの穀物・牧畜文化にたいして、日本は穀物・魚貝型とで言うべき文化を形成し、それが大陸とは違うユニークさを生み出した。

これは一見、縄文語の継承と関係が薄いかもしれないが、遊牧や牧畜文明の影響を受けなかったことが、それを基盤とした言語の影響も受けなかったということであり、縄文的(縄文語的)な自然崇拝の世界観が継続される大切な要素になっているのではないか。

(3)大陸から適度に離れた位置にある日本は、異民族(とくに遊牧民族)による侵略、強奪、虐殺など悲惨な体験をもたず、また自文化が抹殺される体験ももたなかった。

これは上に触れたとおりである。民族とその文化の抹殺とは、文字通りその言語の抹殺でもある。大陸ではこれは往々にして見られることである。キリスト教の流入によってケルトの文化はほとんど抹殺され、ケルト由来の言葉は、地名などにわずかに残る程度に消滅してしまった。

(4)西欧の近代文明を大幅に受け入れて、非西欧社会で例外的に早く近代国家として発展しながら、西欧文明の根底にあるキリスト教は、ほとんど流入しなかったこと。

縄文時代(あるいはそれ以前)からの言葉と、それに伴う自然崇拝的な価値観とを継承してきたからこそ、遊牧・牧畜文明を基盤としたキリスト教は、日本では普及することができなかったのである。農耕文明以前からの言葉とその価値観を継承しながら、高度に発達した近代国家を形成したことが、日本文化のユニークさの大切な要素となっていることは間違いない。

そして、農耕文明以前の言葉と価値観を基盤として残しながら、中国や西欧の文明を自分の尺度に合わせて取り入れ続け、ごった煮状態にし、その混沌の中からハイブリッドなポップカルチャーを生み出し続けているのが、現代の日本なのだろう。ここに日本文化のユニークさと魅力の秘密が隠されているのだと思う。

《関連図書》
古代日本列島の謎 (講談社+α文庫)
縄文の思考 (ちくま新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

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| 現代に生きる縄文 | 00:58 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
現代人の中の縄文残滓
評価:
鎌田 東二,鶴岡 真弓
KADOKAWA/角川学芸出版

今回取り上げるのは『ケルトと日本 (角川選書)』の中の「現代のアニミズム−今、なぜケルトか」(上野景文)という論文である。

万葉から近現代まで、そして文学(志賀直哉、大江健三郎、中上健次など)、映画、絵画、音楽にいたるまで、日本文化のアニミズム的特質について、多くの専門家が語っている。しかし上野は、そうした芸術領域よりも、もっと日常的な場面でアニミズム的なものが観られるかどうかをチェックすることが大切だと考える。

そこで上野は、日本人や日本社会の思考、行動様式を以下の七点の特質にまとめる。

イ)自分の周囲との一体性の志向
ロ)理念、理論より実態を重視する姿勢
ハ)総論より各論に目が向いてしまう姿勢
ニ)「自然体的アプローチ」を重視する姿勢
ホ)理論で割り切れぬ「あいまいな(アンビギュアス)領域」の重視
ヘ)相対主義的アプローチへの志向(絶対主義的アプローチを好まず)
ト)モノにこだわり続ける姿勢

これらの特質は偶然に並存しているのではなく、それぞれの根っこに共通の土台として「アニミズムの残滓」た見て取れると、論者はいう。たとえば、ロ)やハ)についてはこうだ。自然の個々の事物に「カミ」ないし「生命」を感じた心性が、今日にまで引き継がれ、社会的行動のレベルで事柄や慣行のひとつひとつにきだわり、それらを「理念」や「論理」で切り捨てることが苦手である。それが実態や各論に向いてしまう姿勢につながる。

だた私は、これらずべてをアニミズムを根拠にして語るよりも、このブログで繰り返し示してきたような、四項目の「日本文化のユニークさ」から総合的に考えた方が無理がないと思う。異民族との激しい闘争がなかったから、宗教やイデオロギーによる絶対主義的思考で対抗する必要がなかった、というような観点も含めて考えた方が、より現実的だろう。

ともあれ、日本社会においては「西洋文明」と「土着文化」は同居し、むしろ土着文化の法が前者を大幅に薄めているのではないか。つまり、アニミズム的、縄文的心性の方が、現代日本文化のメジャープレイヤーなのではないか、と論者は主張する。

どちらがメジャープレイヤーかは、現代日本の文化のどこに基準をおいて見るかによって答えが違ってくるであろう。すくなくとも、制度や表層で自覚される価値観の深層で、自覚されにくい縄文的な心性が、かなり生き生きと活動しているのは確かだろう。その辺をはっきりと自覚することが、今後ますます重要になると思われる。

 

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| 現代に生きる縄文 | 22:02 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
ケルト文化と縄文文化

宮崎駿の『となりのトトロ』の背景に1972年のスペイン映画『ミツバチのささやき [DVD]』があったという。エリセのこの作品には、キリスト教に抑圧される以前の自然崇拝の古い世界観がもり込まれている。『となりのトトロ』は、この映画から影響を受け、似たようなシーンが見られるし、同様の世界観を表現している。ヨーロッパならローマ帝国以前のケルト人の森の文化、日本なら縄文時代やそれ以前の文化への敬愛が二つの映画の底流をなしているという。
 

宮崎アニメは、充分に意図的に、縄文・ケルト的な森の思想を表現している。産業文明以前の、自然と人間が一体となった世界への敬愛。森や森の生き物に共感し、生き物と交流できたり、森から異界への入り込む森の人への共感。今回は、縄文文化と比較されるケルト文化に触れながら、日本文化のユニークさを考えてみたい。

世界中の産業文明の国々は、ヨーロッパがケルト文化をほとんど忘れ去ってしまったと同じように、「前農耕的な」時代の文化の精神的な遺産をほとんど残していない。(ケルト人は、牧畜・農耕を営んでいたが、都市は発達せず、森との共生の中に生きていた。)日本の縄文文化は、一部農耕を取り入れながらも、狩猟・漁労・採集中心の豊かな文化で、それが約1万5千年も続いた。しかもその精神的な遺産が、強力な統一国家やそれに伴う、強力な宗教などによって圧殺されずに、現代にまで日本人の精神の中に生き生きと生き続けている。そこに「日本文化のユニークさ」の基盤がある。世界がほとんど忘れ去ってしまった、文明の古層が、現代の日本人および日本文化の中に息づいているのだ。

以下、河合隼雄の『ケルト巡り』を取り上げて、考えてみたい。

◆『ケルト巡り』(河合隼雄)

かつてケルト文化は、ヨーロッパからアジアにいたる広大な領域に広がっていた。しかしキリスト教の拡大に伴いそのほとんどが消え去ってしまった。ただオーストリア、スイス、アイルランドなど一部の地域にはその遺跡などがわずかに残っている。とくにアイルランドはケルト文化が他地域に比べて色濃く残る。ローマ帝国の拡大とともにイングランドまではキリスト教が届いたものの、アイルランドに到達したのは遅れたからだ。

この本は河合隼雄が、そのアイルランドにケルト文化の遺産を探して歩いた旅の報告がベースになっている。なぜ今、日本人にとってケルト文化なのか。それはケルト文化が、私たちの深層に横たわる縄文的心性と深く響き合うものがあるからだ。

私たちは、知らず知らずのうちにキリスト教が生み出した、西洋近代の文化を規範にして思考しているが、他面ではそういう規範や思考法では割り切れない日本的なものを基盤にして思考し、生活を営んでいる。一方、ヨーロッパの人々も、日本人よりははるかに自覚しにくいかもしれないが、その深層にケルト的なものをもっているはずだ。

ケルトでは、渦巻き状の文様がよく用いられるが、これはアナザーワールドへの入り口を意味する。そして渦巻きが、古代において大いなる母の子宮の象徴であったことは、ほぼ世界に共通する事実なのだ。それは、生み出すことと飲み込むことという母性の二面性をも表す。また生まれ死に、さらに生まれ死ぬという輪廻の渦でもある。アイルランドに母性を象徴する渦巻き文様が多く見られることは、ケルト文化が母性原理に裏打ちされていたことと無縁ではない。父性原理の宗教であるキリスト教が拡大する以前のヨーロッパには、母性原理の森の文明が広範囲に息づいていたのだ。

日本の縄文土偶の女神には、渦が描かれていることが多い。土偶そのものの存在が、縄文文化が母性原理に根ざしていたことを示唆する。アイルランドに残る昔話は、西洋の昔話は違うパターンのものが多く、むしろ日本の昔話との共通性が多いのに驚く。浦島太郎に類似するオシンの昔話などがそれだ。日本人は、縄文的な心性を色濃く残したまま、近代国家にいちはやく仲間入りした。それはかなり不思議なことでもあり、また重要な意味をもつかも知れない。ケルト文化と日本の古代文化を比較することは、多くの新しい発見をもたらすだろう。

いま、ヨーロッパの人々が、キリスト教を基盤とした近代文明の行きづまりを感じ、ケルト文化の中に自分たちがそのほとんどを失ってしまった、古い根っこを見出そうとしている。これは河合が言っていることではないが、日本のマンガ・アニメがこれだけ人気になるひとつの背景には、彼らがほとんど忘れかけてしまったキリスト教以前の森の文化を、どこかで思い出させる要素が隠されているからかも知れない。

 

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| 現代に生きる縄文 | 21:56 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
クールジャパンの文明史的な意味

町田宗鳳の『人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)』は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などの一神教が、歴史上どれほどの愚行を繰り返してきたかを多くの具体的な事実によって徹底的に暴く。そして、縄文文化もそうであったような「多神教的コスモロジー」の復活に、一神教文明行きづまりを打破する重要な意味があるかも知れないと主張する。


たとえば、アマゾンのインディオたちにキリスト教を布教するために、ヘリコプターでインフルエンザのウィルスを沁み込ませた毛布を上空からまく。それを使ったインディオが次々と発熱する。そこへキリスト教の宣教師がやって来て、抗生物質を配る。たちどころに熱が下がり、自分たちの土着の神々よりも、キリストのほうが偉大な神である説き伏せられてしまう。インディオが改宗するとクリスチャンを名乗る権力者たちが土地を収奪していく(P51)。ヘリコプターとあるから、これはコロンブスの頃の話ではない。現代の話だ。このようなことがキリスト教の名の下に実際に行われているのだとしたら、赦しがたいことだ。

ところで近代化とは、西欧文明の背景にある一神教コスモロジーを受け入れ、男性原理システムの構築することなのだ。日本が、国際政治のパワーポリティクスの場で生彩を欠くのは、一神教的な政治原理による駆け引きが苦手だからかもしれない。

ともあれ日本文明だけは、近代化にいち早く成功しながら、完全には西欧化せず、その社会・文化システムの中に日本独特の古い層を濃厚に残しているかに見える。ハンチントンは日本の独自性の中味までは指摘しなかったが、それは一神教的なコスモロジーに染まらない何かを強烈に残しているということであろう。他のアジア地域では、アニミズムそのものが消えていったが、日本ではソフトな形に変化しながら、信仰とも非信仰ともいいがたい形をとりつつ、近世から現代へ、一般人の間から文化の中央部にいたるまでそれが残っていったのでる。

日本列島で一万年以上も続いた縄文文化は、その後の日本文化の深層としてしっかりと根をおろし、日本人のアニミズム的な宗教感情の基盤となっている。日本人の心に根付く「ソフトアニミズム」は、キリスト教的な人間中心主義とは違い、身近な自然や生物との一体感(愛)を基盤としている。日本にキリスト教が広まらなかったのは、日本人のアニミズム的な心情が聖書の人間中心主義と馴染まなかったからではないのか。

アニミズム的な多神教的コスモロジーは、一神教よりもはるかに他者や自然との共存が容易なコスモロジーである。「日本は20世紀初頭、アジアの国々に対して、欧米列強の植民地主義を打ち負かすことができることを最初に示した国だが、今度は21世紀初頭において、多神教的コスモロジーを機軸とした新しい文明を作り得るということを、アジア・アフリカの国々に範を示すべきだ。日本国民が自分の国の文化に自信をもつことは、そういう文明史的な意味があるのである」と著者はいう。(P134)

もし、アニミズムや多神教的コスモロジーという言葉を使うことに抵抗があるなら、「宗教の縛りが少なく、多様化をよしとする価値観と文化」(伊藤洋一『日本力 アジアを引っぱる経済・欧米が憧れる文化! (講談社プラスアルファ文庫)』)と言い換えてもよい。

世界がクールジャパンに引かれる背景には、現代文明の最先端を突き進みながら一神教的コスモロジーとは違う何かが息づいていることを感じるからではないか。日本のソフト製品に共通する「かわいい」、「子どもらしさ」、「天真爛漫さ」、「新鮮さ」などは、自然や自然な人間らしさにより近いアニミズム的な感覚とどこかでつながっているのではないか。そして、そのような感覚は今後ますます大切な意味をもつようになるのではないか。

世界がなぜ日本のポップカルチャーに魅了されるのかを「文明史的な視点」からとらえなおし、日本人がもっと自信をもって自己を評価すること。そして自信をもって自分たちの文化を世界に発信すること。そのためにもクールジャパン現象を追い続ける意味があるとあらためて思う。(

 

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| 現代に生きる縄文 | 21:40 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
クールジャパンの根っこは縄文?
◆『日本の曖昧力 (PHP新書)

拓殖大学での「日本の歴史と文化」という講座の講義内容をまとめたものであるという。講義を元にしているので、内容はわかりやすくコンパクトにまとまっており、呉善花の「日本文化論」へのよき入門書となっている。読んであらためて感じたことは、呉善花の「日本文化論」の視野の広さだ。これまで多くの人々が日本文化の性格や特徴を語ってきたが、彼女の「日本文化論」ほど、ながい歴史的なスパンの中でその特質を論じたものはないのではないかと思う。欧米との比較ではなく、中国や彼女の出身国である韓国と比較することで、日本文化の特色を説得力をもって語ることに成功している。

そして何よりも魅力なのは、日本のポップカルチャーが世界で受け入れられる理由を、縄文文化という歴史の根っこにさかのぼることで見事に解き明かしていることだ。日本のアニメやマンガの魅力をこのような歴史と文化の視点から主張した議論はこれまでなかったように思う。その意味でももっと注目されてよい著者の一人だと思う。

最終章の特別書き下ろし講義「世界的な課題としての『日本風』」を要約しながら本書の内容を紹介しよう。

今、静かな日本ブームが世界的にひろがり、「日本風に恋する」層が着実に拡大している。日本文化は19世紀末から20世紀初頭に、フランス後期印象派絵画など欧米文化に深く広い影響を与えた。それから100年後の現在、日本ブームはいっそう大きな、地球規模での革命を誘発しているのではないかと著者はいう。今世界に広がる、自然環境や伝統的な生活と現代文明との間の軋みに対して、日本風が示す伝統とモダンの調和が注目されるようになっていると思われる。

著者は、日本を体系的に理解するには三つの指標が必要だという。欧米化された日本、中国や韓国と似た農耕アジア的な日本、そして三つ目が、前農耕アジア的(縄文的、自然採集的)日本だ。日本文化と特色は、アジア的農耕社会である弥生時代以前の歴史層に根をもち、それが現在にも生きていることにあるのではないかと著者はいう。

日本の神道は、強烈なものを排除する傾向が強い。強烈な匂いや音、色、血などを嫌い、静かで清浄な雰囲気を好む。その内容はアニミズムであるが、強烈な刺激や生贄の血や騒然たる踊りや音響を好まないという点では、世界のアニミズムとは正反対である。著者はこうした日本のアニミズムの特色を「ソフトアニミズム」と呼ぶ。他のアジア地域では、アニミズムそのものが消えていったが、日本ではソフトな形に変化しながら、信仰とも非信仰ともいいがたい形をとりつつ、近世から現代へ、一般人の間から文化の中央部にいたるまで残っていったのでる。

著者は、かつての「たまごっち」というサイバー・ペットの世界的な流行を、日本的なソフトアニミズムが世界に受け入れられる普遍性をもっていることの現われだととらえる。劇画やアニメはさらにはっきりと、こどもたちの柔らかなアニミスティックな世界から立ちおこった芸術表現だという。

「いけばな、サイバー・ペット、劇画やアニメなどの世界的な人気は、そうした自然な生命(アニマ)への聖なる感性が、やはり人類すべてに内在し続けていることを物語るものといえるのではないだろうか。現代世界にあって、日本的なソフトアニミズムの感性が多くの人々に迎え入れられることはたしかだと思われる。」

彼女の主張、「日本のポップカルチャーの中のソフトアニミズム的な要素」については、このブログでも機会のあるごとに具体的な事例に即して検証していきたい。

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| 現代に生きる縄文 | 21:34 | comments(0) | trackbacks(0) | pookmark |
日本のユニークさの源泉・母性社会(1)
このブログでは、日本文化を「日本文化のユニークさ8項目」にまとめて、様々に論じている。そのうち第二の項目、「(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた」という特徴は、「母性社会日本」というカテゴリーのもとに論じている。

ところで、この「母性社会」という言葉については、ユング派の心理療法家・河合隼雄が、その著『母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)』で使用し、その視点から現代日本人の心のあり方を深く洞察している。ただこの本については参考図書に挙げたり、短く触れたことはあったが、これを中心にして論じたことはなぜかなかった。ここで一度、この本に沿ってじっくり考える必要があると思った。この本の最初に掲げれられている論文「母性社会日本の”永遠の少年”たち」を中心に見ていくことになる。

人間の心の中に働いている多くの対立する原理のうち、父性と母性という対立原理はとくに重要だと著者はいう。この相対立する原理のバランスの具合によって、その社会や文化の特性が出てくるのだ。心理療法家として登校拒否児や対人恐怖症の人々と多く接した著者は、それらの事例の背景に、母性社会という日本の特質が存在すると痛感したという。これらの事例は、自我の確立の問題にかかわり、それが日本の母性文化に根をもつということだ。

母性原理はすべてを「包含する」特性をもち、包み込まれたすべてが絶対的な平等性をもつ。子供の個性や能力に関係なく、わが子はすべて可愛いのだ。しかし母子一体という包み込む原理は、子供を産み育てる肯定的な面と同時に、呑み込み、しがみついて、時には死にさえ到らしめる否定的な面ももっている。

これに対し父性原理は「切断する」働きを特性とし、すべてを主体と客体、善と悪、上下などに分割する。子供をその能力や特質に応じて峻別する。強い子供を選んで鍛え上げようとする建設的な面があると同時に、切断の力が強すぎて破壊に到る面ももっている。

世界の様々な宗教、道徳、法律などは、この二つの原理がある程度融合して働いているが、どちらか一方が優勢で他方を抑圧している場合が多い。著者は心理療法家としての経験から、日本文化が母性的な傾向が強いと認識するに至ったという。

その事例として著者は、自分が扱った男性患者の夢を挙げているが、ここでは省略する。ただ面白かったのは、それに関連して著者が、親鸞が六角堂参籠の際にみた夢を紹介していることである。夢の中で救世観音は語った、「たとえ汝が女犯しようとも、私が女の身となって犯され、一生汝に仕え、臨終には導いて極楽に生まれさせよう」と。何という母性的な観音だろうか。女犯を徹底的に受け入れ、許し、そして救済する。行為の善悪は一切問題にされず、あるがままに救われるのだ。キリスト教が、父性原理の宗教という特性をもち、神との契約を守る選民こそ救済するが、そうでなければ厳しく罰するのとは大きな違いだ。

ここで、数日前に取り上げた、遠藤周作の『切支丹時代―殉教と棄教の歴史 』(「日キリシタンはキリスト教をどう変えたか)を思い起こしてほしい。かくれキリシタンたちがキリスト教を、自分たちに合う様な母性的なイメージの宗教に変えてしまったこと。そして仏教も日本では長い間に母性的な性格が強くなっていくこと。六角堂での親鸞の夢は、仏教が母性的な宗教の極地至ったことを象徴しているかのようではないか。

さて、著者はこのように日本の社会を母性的な特質が優位な社会と見るのであるが、現代日本の社会的な混乱は、人々が母性的・父性的どちらの倫理観に準拠すればよいか判断が下せぬことにあるのではないかという。というより、その混乱の原因を他にもとめて問題の本質を見失っているところにあるのではないかという。私自身は、母性社会日本のユニークさやその利点を充分に自覚し、その良さを世界にアピールしながら、同時に父性原理とのバランスをとっていくことが大切だとかんがえている。次回以降、さらに著者の論を追いながら、私の立場からの考察も深めたい。


《関連図書》
神話と日本人の心、河合隼雄、岩波書店
中空構造日本の深層 (中公文庫)、河合隼雄
「甘え」と日本人 (角川oneテーマ21)
続「甘え」の構造
聖書と「甘え」 (PHP新書)
日本文化論の系譜―『武士道』から『「甘え」の構造』まで (中公新書)
人類は「宗教」に勝てるか―一神教文明の終焉 (NHKブックス)
山の霊力 (講談社選書メチエ)
日本人はなぜ日本を愛せないのか (新潮選書)
森林の思考・砂漠の思考 (NHKブックス 312)
日本人とユダヤ人 (角川文庫ソフィア)
アーロン収容所 (中公文庫)
肉食の思想―ヨーロッパ精神の再発見 (中公文庫)
日本人の価値観―「生命本位」の再発見

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キリシタンはキリスト教をどう変えたか
日本の文化的・宗教的伝統はどちらかと言えば、父性的な性格よりも母性的な性格が強いのが特徴だ。このテーマについては、「日本文化のユニークさ8項目」のうち、「(2)ユーラシア大陸の父性的な性格の強い文化に対し、縄文時代から現代にいたるまで一貫して母性原理に根ざした社会と文化を存続させてきた」という項目として、様々な観点から論じてきた。

近代化とは、西欧の科学文明の背景にある一神教的な世界観を受け入れ、文化を全体として男性原理的なものに作り替えていくことだともいえる。近代文明を受け入れた国々では、男性原理的なシステムの下に、農耕文明以前の自然崇拝的な文化などはほとんど消え去っている。ところが日本文明だけは、近代化にいち早く成功しながら、その社会・文化の中に縄文以来の太古の層を濃厚に残しているように見える。つまり原初的な母性原理の文明が、現代の社会システムの中に色濃く生残っているのだ。

その事実を、心理学者の河合隼雄は、古事記や日本書紀を読み解きながら『神話と日本人の心〈〈物語と日本人の心〉コレクションIII〉 (岩波現代文庫)』で、古代日本人の心理として語り、また心理療法家の立場から『母性社会日本の病理 (講談社+α文庫)』で、現代日本人の心理として語っている。また土居健郎は、現代日本人の甘えの心理を『「甘え」の構造 [増補普及版]』の中で分析し、日本人論の名著として名高いが、甘えの心理に見られる日本人特有の人間関係のあり方も、きわめて母性原理的な性格を現しているといえよう。


◆『切支丹時代―殉教と棄教の歴史 』(遠藤周作)
◆「日本人の宗教意識」(遠藤周作)(『英語で話す「日本の文化」 (講談社バイリンガル・ブックス)』)

今回取り上げるこの本は、いわゆる「かくれキリシタン」のキリスト教信仰の特徴に触れ、日本人の文化的・宗教的伝統の母性的な性格を描き出していて、きわめて興味深い。

作家・遠藤周作は、キリスト教への迫害が絶頂に達した頃のキリスト教に強い興味を示している。宣教師は日本を去り、教会も消え、日本人のごく一部がキリスト教をほそぼそと受け継いでいた時代である。宣教師がいないので、信者はキリスト教を自分たちに納得できるように噛み砕くが、それを是正するものはいない。日本人の宗教意識に合うように自由に変形されていくのだ。それがどのように変形されたのかに、遠藤周作の関心は集中したという。彼らが信じたものもはやキリスト教とは言えず、日本的に変形された彼らのキリスト教になっていた。仏教や神道の要素がごった煮のように混じり合い、キリスト教徒がふつうに信じるGODを本当に信じていたと言えるのか疑わしいと言うのだ。

しかも、彼らが役人の目をかくれていちばん信仰していたのは、GODでもキリストでもなく、実は聖母マリアであった。しかもそのイメージは、キリスト教の聖母マリアというよりも、彼らの母親のイメージが非常に濃かった。宗教画に見る聖母マリアというよりも、野良着を着た日本人のおっかさんのイメージであった。

言うまでもなくヨーロッパにおいてキリスト教は、母親の宗教というより父親の宗教という性格を強くもっていた。教えに外れるものを厳しく叱咤し、裁き、罰するイメージが強いのだ。それが日本では、いつのまにか母親の宗教に変わってしまう。もちろん聖母マリアは、カトリック信仰の中ではきわめて重い意味をもっているが、第一位ではない。その聖母マリアが、「かくれキリシタン」にとっては最重要の信仰の対象となってしまう。しかも日本のおっかさんのイメージに変形されてしまうのだ。父性原理の性格を強くもったキリスト教が、日本ではいつのまにか母性のイメージ中心の信仰に変わってしまう。日本文化の基底に、そうさせてしまう土壌があるからではないのか。

このような変化は、他の宗教での日本人の信仰の場合にも見られるという。たとえば、中国・朝鮮をへて日本に入ってきた仏教の場合も似たような変化が見られる。平安時代から室町時代には、仏教も日本人の歯で噛み砕かれ、次第に母性の宗教に変化していったというのだ。阿弥陀様を拝む日本人のこころには、子供が母親を想うこころの投影があるのではないか。

浄土真宗で「善人なをもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」といのも、見方によっては悪い子ほど可愛いという母親心理を表していると言えなくもない。ともあれ阿弥陀様には色濃く母親のイメージが漂っている。仏教も日本に流入して日本人に信仰されるうちに、かなり母性的な性格を強くしていったと思われる。

キリスト教にも仏教にも共通に見られる、日本での変化、つまりより母性的な性格のつよい信仰への変化、これは日本人の宗教意識の大きな特徴を表していると言えるだろう。もちろん母親の宗教という面は、キリスト教の中にもある。日本人だけに特有なのではないが、しかし日本の宗教には、この母性的な性格がとくに強く見られるのではないかというのだ。

遠藤周作のこの指摘は、日本人の宗教意識についてのものだが、それは日本の文化や社会の底流に母性原理的なものが色濃くのこっているという捉え方を、一面から強く補強する指摘だろう。

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縄文に連なる母なる大地
このブログは、日本文化のユニークさ8項目のテーマを中心にして、いろいろな側面から考えている。ここ数週間、8項目のうち一番目、と二番目、

(1)漁撈・狩猟・採集を基本とした縄文文化の記憶が、現代に至るまで消滅せず日本人の心や文化の基層として生き続けている。
(2)文化を父性的な性格の強い文化と母性的な性格の強い文化とに分けるなら、日本は縄文時代から現代にいたるまでほぼ母性原理が優位にたつ社会と文化を存続させてきた。

というテーマを多方面から考えるためにいくつかの本を読んでいる。それぞれについて詳しく触れる機会もあるかも知れぬが、ここではとりあえずそれぞれの本がどのような形でこの問題へのヒントを与えてくれるか、かんたんに紹介しておきたい。

★『月と蛇と縄文人―シンボリズムとレトリックで読み解く神話的世界観
今年刊行された新鮮な論考。著者・大島直行氏は考古学者であるが、物質的・技術的研究しかしない従来の考古学の枠を飛び出して、縄文人の精神性に迫ろうとする。彼が取り入れた手法は、ユング心理学の「普遍的無意識と原型(グレートマザー)」、宗教学の「イメージとシンボル」、そして修辞学の「レトリック」などである。これら人文科学の成果を取り入れながら「神話的思考に基づく縄文世界」に分け入る試みが本書である。

著者はドイツ人の日本学者ナウマンにならって縄文人の象徴の中核に月があるという。縄文人にとって、満ち欠けを繰り返す月は幾多の死を超えてよみがえる再生の象徴であり、畏敬の対象だった。さらに脱皮を重ねる蛇も、土偶の身ごもる女性も「死と再生」の象徴であった。身ごもりが月からもたらされる「水」(精液)によることを世界中の神話が伝えている。日本の土偶にも「月の水」が涙や鼻水やよだれとして表現されているという。著者は、こうしたシンボリズムをさらに広げて、縄文土器や竪穴式住居やストーンサークルなど多くの遺物の特徴は、縄文人が「不死」「再生」への願いを表現したものとして説明できる主張する。

縄文人の円形の住居や墓、ストーンサークル、さらに貝塚も子宮のシンボライズであった。子宮は、縄文人にとっても、自分が生まれた場所であり、死から甦る再生の場所でもあった。また子宮をもつ女性の生理は、月の運行周期と同じであり、その月もまた「死と再生」を象徴していた。母なる子宮を象徴とする「死と再生」は、ユングのいうグレートマザーという元型と深く結びついており、それは人類の古層の記憶、普遍的無意識につらなるという。

縄文の遺物を、月・蛇・子宮などのシンボリズムで読み解く試みは従来の考古学にとってはかなり挑戦的だろう。しかしこれもまたこれまでなされてきた解釈のうちの一つであり、飛び抜けて説得力があるとは思えなかった。私にとっては、縄文文化を母性原理との関連でとらえるうえで、大いに参考になったのは確かだが。ひとつだけ気になるのは、縄文人の信仰を「死と再生」の観点だけからとらえるのは一面的ではないかということ。縄文人が豊かな恵みをもたらす母なる大地によって生かされ、それに感謝したという信仰の側面を無視することはできないのではないかということだ。

★『父性的宗教 母性的宗教 (UP選書)
すでに多くの論者が指摘してきたように、日本の文化的宗教的伝統はどちらかと言えば母性的な性格が強いのが特徴だ。それは、「あるべきものより、あるがままのものを、規範的な分離よりも自然的なつながりを、自律的な個性よりも包容的な共同体を強調する傾向」が強い。

世界観の類型には「遊牧文化型」と「農耕文化型」などの分け方がある。著者は、宗教学者として「父性的宗教」と「母性的宗教」という語を用いることで、文化類型の根底にある人間心理の深層にまで掘り下げて考えたいという。それは、比較文化論と宗教心理学を結びつける試みであり、またそこから日本文化の諸問題を分析する手がかりを提示する試みでもある。

母性的な宗教は母性原理に基づいた宗教である。それは人間心理の初期の発達段階、自他が分離せず母や母に代表される世界との一体性の状態に関係する。それはまた人間の原初的な自然、そこに生まれて在る故郷(ふるさと)、あるいは大地に根ざし、無条件の包容性、寛容性を特色とする。そこでは、神が強力な権威をもって人々を特定の目標へ導くというより、共同体の緊張をゆるめ、調和統合をはかる。その自然的な共同体そのものが母性的なものといえよう。

これに対し父性的宗教は、父親の登場によって原初的な母親的世界との分離が決定的となるエディプス期に特に関係するという。父親に対する愛憎のなかで子どもは、父親の権威を超自我として内面化する。それは父親に代表される社会の規範の内面化でもある。こうした原理と結びついた父性的宗教において神は、しばしば強力な権威をもった支配者・超越者として描かれる。

母性的宗教・父性的宗教の違いは、価値的な優劣を意味せず、一種の理念型であり、現実の宗教は両要素がさまざまに交じり合い融合している。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は父性的な性格が強く、母性性を抑圧する傾向があるが、カトリックのマリア信仰は母性的な性格を示す。中国の儒教は父性的な要素が強いが、道教は母性的な要素が強く、民衆に広く支持された。もちろん儒教と道教はたがいに影響し合っている。人間の成長の過程で母性的な要素も父性的な要素もともに大切であるのと同じように、人間の宗教・文化にも二つの要素があり、ともに重要な働きをなしているだろう。

著者は縄文時代の宗教には言及していない。しかし私自身の観点から言えば、縄文時代という農耕以前の豊かな自然社会を1万年も経験し、その記憶を断絶なく現代にまで受け継いできた日本人は、母性的な傾向の強い文化のなかに生きている。しかし西欧から取り入れた近代科学や近代社会の原理は、父性的な性格を強く帯びている。そして現代の世界を全体として見れば、父性原理の文明がもつ負の面がかなり色濃く出てきているといえよう。そんな時、私たちは私たちの文化のなかに流れている母性的な一面をしっかりと捉えなおし、現代社会のなかでのその意味を問うことがますます重要になっている。

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アマテラス:『神話と日本人の心』を巡って(3)
◆『神話と日本人の心

第四章「三貴子の誕生」(続き)

《アマテラスとアテーナー》
ギリシアの神々のなかで、日の女神アマテラスにもっとも類似するのはアテーナーではないか。アテーナーも父から生まれている。

ゼウスの正妻はへーラーとされるが、それ以前に女神メーティスがいた。聡明な女神だったが、大地と大空がゼウスに忠告した。二人の間に生まれる子は、もし男子なら父親を凌ぎ、神々と人間たちの君になるだろう、もしゼウスが永遠に統治権を握りたいなら、適当な処置が必要だ、と。ゼウスはその意見にしたがい、メーティスが懐妊したとき、彼女を自分の腹の中に呑み込んだ。その胎児がゼウスの頭の中で成長し、やがてゼウスは大変な頭痛を覚えたので、斧で頭を打ち割らせた。するとアテーナーが武装して雄たけびをあげて飛び出してきた。彼女は軍事にも携わったが、機織りにも長けていた。(アマテラスの機織との共通性)

日本神話との違いは、ゼウスが自分の統治権を守ろうとしたのに対し、イザナキは、自分の統治権をあっさり娘に譲り、自分は身を隠してしまうことであり、この差は大きい。

アメリカのように極めて父権意識の強い国では、女性の地位は長く低く見られてきたが、それに対しウーマン・リブ運動が起こり、女性も男性と同等の能力をもつと主張した。その結果、多くの職業に女性も進出し、女性の社会進出は成功した。しかし、その成功の陰で自分たちの「女性性」が犠牲になり、傷ついていると感じる女性も多かった。成功の一方、女性に固有なアイデンティティ、女性的な価値が失われるのは、西洋では、女性の価値が男性との関係でのみ決定されることが多いからではないか。ユング派の女性分析家は、そんな自分を「父の娘」と呼ぶ。

アマテラスはアテーナーに似て「父の娘」だが、ギリシアではあくまでもゼウスが主神である。一方日本ではアマテラス自身が主神である。彼女は、母を知らないという意味で地母神ではない。イザナミは黄泉に行き、地下の神となり、アマテラスは天上の神となる。もしアマテラスがイザナミの娘であれば、見事な母権制の社会ということになるが、そう単純ではないところが日本神話の特徴である。(注)

(注)無意識は、意識化された自我の一面性をつねに補償する働きをもつ。そのような無意識の世界を自我に統合していくプロセスが、ユングのいう「個性化の過程」だ。ユングの患者たちは、キリスト教文化圏の人々だから、彼らの無意識から産出される内容は、正統キリスト教の知を補償するものであることが多かった。

父なる神を天に頂く彼らの意識を補償しようするのは、母なるものの働きである。ユングはそのような観点からヨーロッパの精神史を見直し、正統キリスト教の男性原理を補うものとして、ヨーロッパ精神の低層に、グノーシス主義から錬金術に至る女性原理の流れを見出していった。

西洋のような一神教を中心とした文化は、多神教文化に比して排除性が強い。対立する極のどちらかを中心として堅い統合を目指し、他の極に属するものを排除しようとする。排除の上に成り立つ統合は、平板で脆いものになりやすい。キリスト教を中心にしたヨーロッパ文化の危機の根源はここにあるかも知れない。

唯一の中心と敵対するものという構造は、ユダヤ教(旧約聖書)の神とサタンの関係が典型的だ。絶対的な善と悪との対立が鮮明に打ち出される。これに対して日本神話の場合はどうか。例えばアマテラスとスサノオの関係は、それほど明白でも単純でもない。スサノオが天上のアマテラスを訪ねたとき、彼が国を奪いにきたと誤解したのはアマテラスであり、どちらの心が清明であるかを見るための誓いではスサノオが勝つ。その乱暴によって天界を追われたスサノオは抹殺されるどころか文化英雄となって出雲で活躍する。二つの極は、どちらとも完全に善か悪かに規定されず、適当なゆり戻しによってバランスが回復される。

男性原理と女性原理の対立という点から見ると、日本神話は、どちらか一方が完全に優位を獲得し切ることはなく、一見優勢に見えても、かならず他方を潜在的に含んでおり、直後にカウンターバランスされる可能性を持つ。著者はここに日本神話の中空性を見る。何かの原理が中心を占めることはなく、それは中空のまわりを巡回しながら、対立するものとのバランスを保ち続ける。日本文化そのものが、つねに外来文化を取り入れ、時にそれを中心においたかのように思わせながら、やがてそれは日本化されて中心から離れる。消え去るのではなく、他とのバランスを保ちながら、中心の空性を浮かび上がらせる。(河合隼雄『中空構造日本の深層 (中公文庫)』)

非ヨーロッパ世界のなかで日本のみがいちはやく近代文明を取り入れて成功した。男性原理に根ざした近代文明は、その根底に先に見たような危機をはらんでいる。日本の文化は、近代文明のもつ男性原理や父性原理の弊害をあまり受けていないように見える。それは、日本が西洋文明を取り入れつつ母性的なものを保持したからだろう。しかし単純に女性原理や母性原理に立つのではなく、中空均衡型モデルとでもいうべきものによって、対立や矛盾をあえて排除せず、共存させる構造をもっていたからではないのか。

日本が、男性原理の上に成り立つ近代文明を取り入れ成功しながら、なおかつ男性原理の文明のもつ弊害を回避しうる可能性を隠すことが、今後ますます重要な意味をもつかも知れない。

(付録)シャーロット・ケイト・フォックスへのインタビュー
別所 日本の女性とアメリカの女性との違いは?

シャーロット 米国では「パワフル」「ストロング」「セクシー」、この三つが合わさって「彼女はビューティフル」になるんです。「キュート」って言われると、見下されているように感じます。だから私も当初、日本で「かわいい」と言われると戸惑いました。でも、「かわいい」には、英語の「キュート」にとどまらない、いろんな意味が含まれていることが分かってきました。

ここ日本で「美しくあること」って難しい。米国と全く違いますから。一方で、自分の内面に向き合い直すよい機会だとも思っています。自分の内面を再考察するといえば、言葉を発する前にまずきちんと考えてみることですね。米国では必要以上に感情が高まったり、あまりにも直接的なものの言い方になってしまったりするんです。感情の起伏が激しくなってしまうんです。特に人を愛することに関しては。
別所 日本女性の長所って見つけましたか?

シャーロット 日本女性のパワーの源を学んでいるところです(笑い)。米国の女性と違うんですよね。内に秘めたパワーというか。本当にとても強いパワー。まるで魔法のようです。私の友人は優しくて、嫌われずして得たいものを得るんです。不思議です。(毎日新聞-2015/03/26)

 

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